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古式醸造みそとは

老舗味噌蔵として苦悩と苦労を積み重ね、
平成の世によみがえった伝統的な味噌造り!

ビデオ・ダイジェスト
六代目・内山庄栄

不安を打ち破った1枚の古い写真

正式には古式玉麹造り(こしきたまこうじづくり)。この昔ながらの手間ひま惜しまぬ伝統的な手法で造られた味噌を称して「古式醸造みそ」という。

老舗・内山味噌店の六代目、内山庄栄さんが、古式醸造での味噌造りに立ち返ったのは平成12年。全くの異業種だった東京での職を辞し、帰郷から8年の歳月が流れていた。結婚、子供の誕生、家業も正式に継ぎ、味噌蔵の若き当主として奔走する日々。しかし同時に経営者としての、大きな苦悩も抱えていた。

全国の味噌メーカー、味噌蔵は規模の違いこそあれど、そのほとんどが人手を抑えた機械化による商品作りに走っているといってもいい。当時の内山味噌店もその一つ、ではあった。だが、このシステムでは、どうしても商品の価格競争に巻き込まれてしまうのは必定。それでは大手メーカーに太刀打ちすることなど不可能。営業先に顔を出せば、必ず値段の話にしかならない。不景気が世間一般を浸食する中、内山味噌店の売り上げも年々確実に下がっていた。

先の見えない状況の中、老舗味噌屋の六代目は、ある一つの決断をする。

「地方の小さな味噌蔵が生き残っていくには、他所と同じことをしていては無理。ならば違う方向に目を向け、可能性を探っていくべきなんじゃないか。従来の薄利多売から発想を転換させ、とてつもなく手間をかけた高品質の味噌を造ってみよう。そう思いましたね。大きな賭けかもしれないけれど、どうせ何もしなければジリ貧の一方。遅かれ早かれ蔵は畳むしかない。ならば、よし、その前にやれることをしよう、と」

ヒントは、1枚の写真にあった。

扱いづらい大型戦力、その名は大豆麹

一般的に流通している味噌は、蒸かした大豆、米麹、塩、この三つを混ぜ、樽の中で熟成させる。「古式醸造みそ」は、これらに大豆の麹をもプラスしていく。だが、この大豆麹を作るのには、大変な苦労がつきまとう。大豆に高い温度を加えると、粘りが出やすい。この工程を失敗すれば、納豆のできそこないのようなものができあがってしまう。とはいえ、成功した大豆麹を使えば、この麹菌が大豆に直接作用して旨味成分の分解を促すため、素晴らしくコクのある味噌に仕上がるのだ。大豆と米は温度帯が違うため、時間を綿密に調節し、並行に進行しなければ同時に仕込むことができない。その点をつかむまでが何よりも難しかった、と六代目は振り返る。

「味噌造りとは品温管理に集約されます。僕らではなく、微生物が繁殖して味噌を造ってくれるんです。微生物を計算通りに生育させることが工程の出発点。そのための品温管理、環境を整える作業には、今でも一切、気が抜けませんね」

退路を断ち、温故知新の味噌造りを探る

「古式醸造みそ」は、1回で造れる量が極端に少ない。機械化で行っていた時に3トンできていたものが、わずか650kgというから、ほぼ5分の1という単純計算。しかも、かかる手間ひまと失敗のリスクは恐ろしく増える。

少量でかまわない。むしろそこに高い価値が見出せる商品を造り、今までとは異なる市場を見据えた味噌造りをしていこう。決意を固めた六代目は、かつて内山味噌店の味噌蔵で造られていた「古式醸造みそ」の作業工程を撮影した1枚の写真を足がかりに、その製法を突き詰めていく。昭和50年前後まで、内山味噌店では「古式醸造」により味噌が造られていた。しかし寄る機械化の流れに逆らえず、製法そのものが時代に埋没していくことになる。30年間の空白。その方式での味噌造りが生業だった祖父はすでに他界している。話を聞ける人間は周囲にはいなかった。ならばと、過去の文献を頼りに研究し、繰り返される試行錯誤。費やしたのは2年という期間。廃棄処分となった原料も半端な量ではなく、最初から反対だった周囲の声が、日増しに大きくなっていく。だが、六代目は挑むことをやめなかった。

「賛成してくれたのは妻だけでしたからね。でも、手応えとして、最終的にうまくいくだろうとは感じていたんです。それに古式醸造みそを再現できなければ、商売として立ちいかなくなるのも目に見えていましたから、必死ですよ。今にして思えば、結果的にできなくてもいいという開き直りが、良い方向で作用したんでしょうね。家業の味噌屋を潰しても、家族ぐらいはどんな仕事をしても食わせていけると思っていましたから」

全国行脚と探求の果てに輝いた栄冠

覚悟を決めた六代目は、京都、長野、新潟、秋田と、全国に点在する一流の味噌蔵へと精力的に足を運び、飛び込みで話を聞くことも行った。各蔵の杜氏さんや経営者から、味噌造りへの姿勢を拝聴し、最良質の味噌を造ることが内山味噌店の進むべき道だということを、再認識する。評判の高い味噌は通販で取り寄せ、研究の材料にもした。そうした日々を繰り返していくうちに、「古式醸造みそ」は、六代目自身にとっても満足のいく品質へと徐々に近づいていった。

「年に一度、全国の蔵元が出品する味噌鑑評会があり、自分たちの味噌を出品することにしました。専門家の方々から、どのような評価を下されるか、腕試しのような気持ちもありますし、もし低い評価だったとしても、いただいた指摘を基に改良していけば3年後ぐらいには入賞できるレベルになるだろうと、そんな腹づもりだったんですが……」

初出品にして入賞受賞という大金星。思わぬ結果に驚きもしたし、また、自信を深めることもできた。この受賞を機に、平成14年、内山味噌店の「古式醸造みそ」は、遂に商品化へとたどり着く。

醍醐味を味わい続け、重ねていく伝統

「月並かもしれませんが、やはりお客様から美味しいと言ってもらえるのがいちばんだ思います。手前味噌って言葉があるように、昔はどの家庭でも造り、自分のところがいちばんだ、と言ってたんです。ですから、内山味噌店で造ったものを、これが美味しいから食べているという“他人味噌”としての評価が何よりも嬉しいですね。同様に、これが自分たちの食べている美味しい味噌だよ、と贈答品に使っていただくことが多くなってきたことも、私たちの励みになっています」

何とも良い笑顔で、やりがいについて語る六代目。一人の造り手としては、長期間にわたり熟成させた容器を開け、思った通りの仕上がりになっていた時に満足感を覚えるという。嬉しさの余り、スタッフを集め、みんなで感慨にふけることもしばしば。思惑に沿った色・香り・味を実現できたことを実感できるのは、味噌造りに携わる職人の特権でもあり、かつ大きな醍醐味。愛情と共に心血を注いだ分、やはりその喜びは、何にも増してかえがたい。信頼で結ばれた仲間たちと共に、老舗味噌屋・内山味噌店は、六代目から七代目、そして八代目へと、味噌蔵としての進化する伝統を重ねていく。

取材記者より

内山庄栄さんへのファーストインプレッションは、非常に物腰がやわらかく言動がスマートな人だな、と。それでいて、時に思いきった判断を躊躇なく決行するアクティブさをも備え持つ。振り幅が大きいのにもかかわらず、ものすごく精巧なバランス感覚をも感じさせる。つまりは大変に魅力的なお人柄ということ。取材者としては、老舗の味噌蔵を守る当主のイメージを勝手に抱いていたため、いささかの違和感を覚えたのも正直なところ。しかしながら取材を重ねるうちに、得心がいった。六代目を継ぐ前身は、東京にて超有名証券会社勤務という変わり種。東京だとか、経済の先端部だとかの空気を最前線で感じ、そして掴んだ人間が発揮する強みは、とてつもなく大きい。

取材記者:飯田寿
取材日:2008年10月22日